2022年08月24日掲載
医師・歯科医師限定

【第65回日本糖尿病学会レポート】糖尿病を持って生活する人々とスティグマ――発生の構造的要因と改善を目指したアドボカシー(3300字)

2022年08月24日掲載
医師・歯科医師限定

東京大学大学院医学系研究科 公共健康医学専攻 行動社会医学講座 教授

橋本 英樹先生

糖尿病を持って生活する人々が抱える困難の1つにスティグマが挙げられる。スティグマとは、偏見に基づく人格への言われのない非難や攻撃、またその結果として生じる差別であり、それが発生する背景には「生活習慣病(Life-style related diseases)」の概念がある。

東京大学大学院医学系研究科 公共健康医学専攻 行動社会医学講座 教授の橋本 英樹氏は、第65回日本糖尿病学会年次学術集会(2022年5月12~14日)で行われた講演の中で、スティグマが発生する構造的な要因と改善を目指すためのアドボカシーについて解説した。

疾病の病因モデル(病因論)の発展

Host-Agent-Environment model:専門家主体の構造

古典的な疾病の病因モデル(病因論)には、Host-Agent-Environment modelがある。人間(Host)は病原体または原因物質(Agent)によって病気になるとする考え方で、環境(Environment)の影響も考慮されるが、治療のためには病原体または原因物質を除くことが基本とされる。結核など比較的単純な原因によって起こる病気の説明には適したモデルだが、複雑な要因により発症する病気の説明には適さない。

しかし、いまだ医師をはじめとする医療従事者には中核的な考え方として浸透しており、「専門家が病原体または原因物質を取り除いてあげることが解決(治療)につながる」という、専門家が治療の主体となる構造を作りやすいとされている。

橋本氏講演資料(提供:橋本氏)

くもの巣モデル(Web of Causation):患者主体の構造

それに対して、脳卒中やがん、虚血性心疾患など、いわゆる「成人病」が中心になりはじめたころからリスクファクターという概念が提唱され、喫煙や食生活など長期的・反復的な曝露による複合的な病因のメカニズムを説明しようとされたのが、くもの巣モデル(Web of Causation)である。さまざまな要因が複雑に絡み合って病気になる場合、くもの巣を壊すためには切りやすい糸から切る、つまり病気を治すためには生活習慣を変えればよいという発想につながった。

それまでは専門家が主体となって原因を取り除くことで解決に導くとされていたのに対し、本モデルは自由主義思想とも整合し、「自分で自分の運命を変えられる」として1960年代以降広く一般に受け入れられた。

橋本氏講演資料(提供:橋本氏)

概念の変遷:「生活習慣病」から「健康の社会的決定要因」へ

「生活習慣病」概念の確立と実践上の限界

1960年代にはFramingham Heart StudySurgeon Generalなどの研究から、食事や喫煙、運動などの生活習慣そのものが病気の原因であるとの知見が集積され、「生活習慣病」概念が確立された。それにより、生活を変えれば病気を予防できるとの考えから、1970~80年代には認知行動心理学に基づく大規模な地域介入健康教育が実施された。しかし、1980年代に次々と発表された報告では概して介入の効果は認められず、この結果は衝撃をもって受け止められた。

その理由として大きく2つがあげられた。まず、個人の生活習慣行動は教育だけで変化するのではなく、また行動は理性的な判断のみでは決定されないという実践上の限界が明らかになったことである。そして、「行動の選択は個人の自由意思によるもので、選択した結果については個人が責任を負うべきである」とする暗黙の前提は、置かれている環境により健康上好ましくないとされる行動を選択せざるを得ない、または選択をしやすい状況にある人(裁量権がない弱者)を攻撃することになるのではないか(Victim Blaming、被害者非難)という倫理的・理論的な問題が表面化したことである。

健康教育から自らをコントロールできる環境整備へ 「ヘルスプロモーション」概念の成立

これを受けて、1986年に開催された世界保健機関(WHO)のオタワ国際会議でHealth Promotionの概念が提唱され、「ヘルスプロモーションとは、人々が自らの健康をコントロールし、改善することができるようにするプロセスである」と定義された。

ヘルスプロモーションでは、健康を増進するための能力や技術を高めることを個人のみに求めるのではなく、社会的、経済的、政治的な環境を整備することによって、それを自らコントロールできるような環境を作り出すことに重点が置かれている。

なお、日本語ではHealth Promotionを「健康増進」と訳されることが多いが、公衆衛生学的には原語の意味を正確に表していないと考えるため、本稿ではヘルスプロモーションとカタカナで表記する。

重要なのは“上流”の原因を解決すること 「健康の社会的決定要因」概念の成立

そして、ヘルスプロモーションをさらに発展させた概念が、健康の社会的決定要因(SDH:Social Determinants of Health)である。2005~2007年にWHOの特別委員会で検討され、2008年の総会で決議に至った。

SDHとは、健康格差を生み出す政治的、社会的、経済的要因のことである。川の流れに例えると、下流で問題が生じるのは上流に原因があるからであり、上流の原因を解決しない限り下流で生じている問題は解決しない。つまり、健康に影響を与えるのは生活習慣そのものではなく、その背景にある生活や行動、さらにその背景にある収入や教育、ジェンダーなどの構造的な問題、そして文化や国、社会的な制度の問題であるとする考え方である。

2021年には、糖尿病を持って生活する人たちとSDHに関するレビュー論文が報告され、社会環境との接点の問題について注目が集まっている。

アドボカシーへの態度表明 それぞれの立場でできることから

Life-style related diseases からNon-communicable diseasesへ 糖尿病コミュニティーのアドボカシー

また、2011年に開催されたWHOの第1回高官レベル政府代表会議では、個人のライフスタイルに病因が起因することを想起させるLife-style related diseasesという用語に代わって、より中立的な表現であるNon-communicable diseases(NCDs)という用語が使用された。この会議では、糖尿病を含むさまざまなNCDsに対して研究や治療を推進し、それらの恩恵をあずかれる公平性のある制度を作成するなどの取り組みを行うべきであると決議された。

実は、この会議が開催に至った大きな要因の1つには、International Diabetes Federation(IDF:国際糖尿病連合)によるアドボカシー活動がある。アドボカシー(advocacy)とは社会的要因の改善や向上を目指した活動であり、IDFはまさにその先駆けとなった。また、American Diabetes Association(ADA:アメリカ糖尿病協会)も、2020年のアドボカシー声明の中で健康の公平性について言及し、糖尿病に関連する健康の社会的決定要因の解決に取り組むことを明言している。

日常診療から始めるアドボカシー

医療従事者は糖尿病を持って生活している人々に対して、治療を中心とする診療面での支えだけでなく、彼らが直面しているさまざまな社会課題そのものに対しても積極的に変革をもたらす関わりが求められている。そのためには、IDFやADAのように政府や国際機関に影響を及ぼすことを目指して、ロビー活動を伴うアドボカシーも必要である。たとえば、「生活習慣病」という用語が現在も日本で広く用いられている理由の1つは、健康増進法第16条に明記されているからであり、この改正を促すことは1つの解決策となる。そのためには継続的・組織的な取り組みを学会・協会として行っていくこととなる。

それに加えて、医師一人ひとりが日常の診療場面から始めるアドボカシーも存在する。2018年にLancetに掲載されたEditorial「Finding the right words」には「糖尿病治療に携わる者であれば、糖尿病とともに生活する人々を、まず人として認めるところから始めなくてはならない。そして支援的な関係を構築するために言葉を注意深く選び、彼らが直面するスティグマを軽減するための支援をするために、率先的な役割を果たさなくてはならない。『正しい言葉』こそ力を生むのである」とある。これはまさに、糖尿病を持って生活する人々が直面する困難に対して積極的に関わろうとするか否かという、アドボカシーへの態度表明が求められているコメントである。

糖尿病を持って生活する人々にとって、医師や看護師、管理栄養士などの医療従事者は自分のつらさを理解してくれる専門家として信頼を寄せている存在である。それだけに、支援的でない言葉を発せられたときの心境は非常につらいものであると聞く。ぜひ、スティグマの問題をより広く医療従事者が認知することで、糖尿病を持って生活する人たちの困難を軽減する活動に積極的に参加されることを望む。

講演のまとめ

  • スティグマとは、偏見に基づく人格への言われのない非難や攻撃、またその結果として生じる差別である
  • Host-Agent-Environment modelは古典的な疾病の病因モデルで、専門家が主体となる構造を作りやすい
  • くもの巣モデルはリスクファクターによる複合的な病因を説明しようとするモデルで、「自分で自分の運命を変えられる」として広く受け入れられた
  • 「生活習慣病」概念に基づき実施された地域介入健康教育は効果が認められなかった
  • 個人の生活習慣行動は教育だけでは変化せず理性的な判断のみでは決定されない
  • また、行動の選択の結果を個人のみに帰結させることは、裁量権がない弱者を攻撃することになる
  • 1986年、環境を整備することにより、健康を増進する力を自らコントロールできる環境を作り出すことに重点を置く「ヘルスプロモーション」概念が成立した
  • さらに健康格差を生み出すのは政治的、社会的、経済的要因であるとする「健康の社会的決定要因(SDH)」概念へと発展した
  • アドボカシーとは、社会的要因の改善や向上を目指した活動である
  • 糖尿病コミュニティーのアドボカシーにより、Non-communicable diseasesをめぐる社会的決定要因への政策的取り組みが国際的に注目されるようになった
  • スティグマへの対抗に求められるのは「社会的決定要素」へのアドボカシーである
  • 医療従事者は糖尿病を持って生活する人々と支援的な関係を構築することで、困難に対して積極的に関わろうとする態度を表明してほしい

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